清泉寺跡、島津久章の墓のことなど

今日で3日連続の大雨で、せっかく暖かくなったのに虫撮りができない。
 4日犬の散歩で足をのばした清泉寺跡の写真を載せます。

清泉寺は廃仏毀釈で壊された寺で地元では島津久章の墓があるので有名なようです。
清泉寺跡
久章の墓は清泉寺跡の一番奥にあるのだが、気乗りしなくて行かなかった。
入り口のボードには、

島津久章は、島津家第15代貴久の弟、忠将の子孫で、第18代家久の娘を正室に迎えました。
寛永16(1639)年、第19代光久の命を受けて江戸に行き、その帰り道、紀州家に立ち寄った際に無礼があったということで、川辺の宝福寺に閉じ込められました。
5年ほどのち、島流しの藩命がくだり、それをきかなかったというので、ここに移されましたが、ついに上意討ちにあい、亡くなりました。30歳でした。

実際は
帰路、宿泊していた京都から突如失踪し、高野山の島津氏菩提寺「蓮金院」にたどり着いたところを捕縛されて薩摩に護送された。
その後川辺宝福寺に幽閉されていたが後に末寺である清泉寺に移された。
正保5年(1645年)久章は流刑処分と決まり、藩の護送役人が迎えに来たところで乱闘となり久章以下家臣は全員死亡した。

なぜ突如失踪したか誰も説明していないが、少し興味を持って調べると
多分父久信が蟄居させられ毒殺された事を御三家筋に訴えたのではないか、と。
「藩の護送役人が迎えに来たところで乱闘となり・・・」
これって家来も数人はいただろうから、全員討ち死に、とは単なる護衛の役人ではないだろう。

実際は薄暗くて湿った感じで居心地がよくない。
清泉寺跡4
これは途中にある歴代住職の墓

清泉寺跡3
磨崖仏でありましたか。
下の小さな像に気を取られてしまった。

清泉寺跡2
(RICOH CX6Pink)